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八丈島の民謡

八丈島の民謡(ショメ節、太鼓節、春山節)

■指定されている場所:八丈町

八丈島の「ショメ節」、「太鼓節」、「春山節」は、東京都無形民俗文化財に指定されている郷土芸能です。「ショメ節」は八丈節ともいい、八丈島の盆踊や宴会で手拍子と共に歌われます。歌詞は七七七五調で、「ヤアー」という唄い出しで始まり、「ショメ、ショメ」というはやし言葉がその後に続くため、「ショメ節」と呼ばれるようになりました。節回しは決まったものはなく、地域によって、また歌う人によって個性があります。

ショメ節

「ヤァ~ 沖で見た時や 鬼島とみたが、来て見りゃ八丈は 情島 (ショメ、ショメ)」
「ヤァ~ 南風だよ 皆出ておじゃれ 迎え草履の 紅鼻緒 (ショメ、ショメ)」
「ヤァ~ 大和男子の 度胸があれば、越えておじゃれよ 黒瀬川 (ショメ、ショメ)」

八丈島の民謡

上に挙げた歌は、ショメ節の中でも定番となっているものですが、ショメ節は本来、その場に合わせた話題や心情、相手に対する想いを盛り込んで、皆が即興で歌い回しました。恋の歌や八丈島の名物島の生活や出来事を読んだ歌など内容は幅広く、しばしば八丈方言が織り込まれています。即興の歌のほとんどはその場限りで忘れられてしまいますが、人々の共感を得た歌が語り継がれ、今も数百を超える歌が書き残されています。前述の「南風だよ 皆出ておじゃれ……」の歌は、詩人・野口雨情が八丈島を訪れた際に作詞したもので、八丈島の南原千畳敷に詩碑が建てられています。即席で歌を作る際、よく知られた歌の一部を替えて作る方法もあります。似たようなショメ節は、御蔵島、青ヶ島、小笠原にも残っており、交流があったことが理解できます。


ショメの由来

ショメの由来

「ショメ」という言葉の始まりについては、梅干しを漬ける時に良い塩加減で漬かった「塩梅」(しおうめ)、つまり「うまい、うまい」という意味に由来するという説がありますが、他にも海の黒潮と親潮の「潮目」(しおめ)に由来するという説など諸説あります。


太鼓節

太鼓節

「太鼓節」は、八丈太鼓を叩き、その間合いに歌を歌うもので、八丈島の盆踊りや結婚式、宴会などの行事で演じられます。歌は古くは「つがる」といい、明治末期から大正時代にかけては「太鼓甚句(じんく)」、現在では「太鼓節」といいます(内容は少しずつ変化しています)。「八丈太鼓」とは、太鼓の種類のことではなく、太鼓の叩き方のことで、2人1組で両面から叩くのが特色です。「下拍子」が基本となる一定のリズムを打ち、「上拍子」が下拍子のリズムに合わせながら即興で叩きます。下拍子には、「ゆうきち(別名、ドンドラ)」「本ばたき」「しゃばたき」「祇園ばたき(別名、樫立トーンコばたき)」の4つのリズムがあります。

「婦人盆中太鼓打図」

1848(弘化5)年に記された鶴窓山人著『八多化の寝覚草(やたかのねざめぐさ)』にある「婦人盆中太鼓打図」には、松の木に吊るされた太鼓を女性二人が叩いている図が掲載されています。古来の日本では、太鼓を神事の一環として打つ場合に女性が打ち手になれないのが一般的でしたが、八丈太鼓は島の娯楽として女性を含む皆で叩いて楽しんでいることが見て取れます。

「太鼓叩いて 人様寄せてナー(ソリャ キタマタ キタマタ キタマタエ)
わしも会いたい 人があるヨー(ソリャ キタマタ キタマタ キタマタエ)」


春山節

「春山節」は、八丈島で黄八丈を織るための絹糸の原料となる養蚕が盛んだった頃、カイコのエサとなる桑の葉を摘みながら女性たちが掛け合いで歌った労働歌のこと。「桑摘み唄」ともいいました。「春山節」の「春山」とは、春の山で作業をする時の歌という意味です。

「春になりゃこそ 木の芽も目立つ (ヨーイ) 様も時節を 待つがよい(ヨーイ)」
「春になりくりゃ 木の芽も芽吹く (ヨーイ) 芽吹く桑の木にゃ 金がなる(ヨーイ)」

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