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 地域資源紹介

江戸鼻緒

江戸鼻緒

■指定されている場所:足立区

江戸鼻緒は、江戸末期から明治期にかけて広まった和装履物の文化を背景に、草履や雪駄、下駄に用いられる「鼻緒」を、江戸・東京で培われた技術で仕立てたものです。鼻緒は足の指の間に挟み、履物を足に固定する重要な部材であり、見た目の印象を決める装飾的な役割とともに、履き心地を左右する機能も担っています。

足立区で1924(大正13)年に創業した「鼻緒匠 はな壱」は、三代にわたり鼻緒づくりを続けてきました。現在は三代目・柴田一郎氏が中心となり、伝統的な製法を守りながら、現代の生活様式に合った製品づくりにも取り組んでいます。

江戸鼻緒の特徴

江戸鼻緒の特徴

鼻緒の産地は大きく関東と関西に分かれ、それぞれに作りの思想があります。江戸鼻緒の特徴は「柔らかさ」と「履く人に添う仕立て」にあります。形の美しさを追求する文化がある一方で、江戸では履き心地を重視し、足に合わせて調整する実用性が育まれてきました。客との対話を重ねながら改良を積み重ねてきた歴史も、江戸の仕立てを形づくる背景となっています。


江戸鼻緒の特徴

鼻緒づくりの技術は、親から子へと受け継がれることが多く、一子相伝に近い形で継承されてきました。暖簾分けの文化が生まれにくく、技術が外部へ広がりにくい世界であることも特徴です。そのため、地域ごとの作りの思想が色濃く残り、江戸には江戸の仕立てが今日まで受け継がれています。

製作工程で特に重要なのが、外からは見えない芯材の構造です。芯の硬さや厚み、素材の選択によって、履き心地や耐久性が大きく変わります。はな壱では、素材選びと構造の工夫を重ね、柔らかさと形の保持を両立。針金などの補強材に頼らず自立する立体的なフォルムを実現し、機能性と美しさを兼ね備えた仕立てを追求しています。


辿ってきた歴史

辿ってきた歴史

かつて和装履物は日常の足元にありました。商店街には下駄屋が並び、鼻緒が切れればその場で修理するのが一般的な光景でした。鼻緒職人は地域の生活に密着した存在でした。

しかし生活様式の変化とともに、草履や雪駄は次第に特別な場で履かれるものへと移行します。二代目の時代には百貨店を中心とした高級草履へと展開し、技術の向上とともに販路も変化しました。そして三代目の時代には、和装人口の減少やコロナ禍の影響により業界全体の需要も大きく縮小しました。現在、都内で事業として鼻緒づくりを継続する工房はきわめて少なく、三代にわたり継承されてきた「鼻緒匠 はな壱」の取組は、貴重な存在となっています。


現代への展開と将来への取組

現代への展開と将来への取組

こうした状況の中、はな壱では鼻緒の技術を活かした「ポンダル」を開発しました。ポンダルは、日本(Nippon)とサンダル(sandals)を掛け合わせた名称で、鼻緒の機能美とスニーカーのソールにも用いられるEVA素材を組み合わせた現代向け履物です。和装に限らず、日常で履ける製品として展開し、新たな顧客層へのアプローチを図っています。

また、製作工程の内製化を進めることで品質の安定と技術の維持を両立しています。

伝統技術を守り続けるためには、製作技術の継承だけでなく、事業として継続できる体制づくりが不可欠です。販売方法の工夫や認知向上への取り組みを進めながら、後継者育成も視野に入れています。

江戸鼻緒は、江戸から続く技を現代の東京で受け継ぐ、足元の伝統文化です。伝統的なハレの日の履物を支えながら、日常の暮らしにも寄り添うかたちへと広がりを見せています。

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