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 地域資源紹介

てんぐさ

てんぐさ

■指定されている場所:大島町、新島村、三宅村、八丈町、利島村、神津島村、御蔵島村、青ヶ島村

てんぐさ(天草)とは、ところてん(心太)や寒天の原料となる海産の紅藻類の総称です。ですから、てんぐさという名の単独の種はありません。伊豆諸島で採れるてんぐさは、主にマクサ(Gelidium elegans)で、他にオオブサ(Gelidium pacificum、別名アラメ)という種類の海草が採られています。マクサは浅い岩場から、水深約20mまでの岩礁地帯に生息しており、株の高さは約10〜30cmになります。葉は平らで細く、羽のように枝分かれします。
てんぐさは、日本各地と朝鮮半島に分布していますが、一般的に太平洋岸のほうが量も多く品質も良いと言われています。特に伊豆諸島は、年間約350〜700トンという全国的に見てトップを争う漁獲量となっています。
紅藻類という名のとおり、マクサとオオブサは共に水揚げされた時には、赤紫色をしています。これを、真水にさらしながら日光で乾燥させる工程を4、5回繰り返すことにより、次第に赤い色が抜けて、ついには黄色くなります。 このように、日光にさらしたてんぐさのことを「さらしてんぐさ」といいます。さらしてんぐさを使用することにより、半透明のきれいなところてんが出来上がります。

てんぐさから作られる「ところてん」の歴史は古く、奈良時代、正倉院の木簡に記されている記録では、御食国(みけつくに、場所は定かではない)と呼ばれる地域からてんぐさが都に送られていたことが知られています。
ところてんを作るには、てんぐさを水と一緒に煮ます。すると、アガロースと呼ばれる多糖類の成分が出てきます。残った繊維やごみなどを取り除き布でこします。それを大きな型に流し込み、昔ながらの製法では常温でゆっくり冷まして固まらせます。それを「天突き」とよばれる器具を用いて、押し出しながら細い糸状にします。こうして、ツルッとしたのど越しのところてんが出来上がります。

一方、寒天はところてんを凍らせて、再度融かし、また乾燥させるという工程を数回繰り返して最後に干物状にしたもののことです。寒天は江戸時代初期に、京都伏見の旅館「美濃屋」の主人・美濃太郎左衛門が、偶然、食事で余ったところてんが戸外の片隅に捨てられているのを観察したことから発見されました。そのところてんは夜のうちに凍結し、日中に解凍され水分が抜けて干物になりました。ここからヒントを得て、乾燥したところてんの干物から再びところてんをつくったところ、白くきれいで磯臭さのないところてんが出来上がりました。美濃太郎左衛門が、京都の宇治に黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)を開いた隠元禅師に試食してもらったところ、清浄感のある精進料理の食材として向いていると賞賛しました。そして、隠元禅師はその食べ物を、寒空(さむぞら)の寒晒(かんざらし)でできたところてんという意味で「寒天」と命名しました。ちなみに、隠元禅師は、インゲン豆を日本にもたらしたことでも有名です。
その製法が広まり、信州(現在の長野県)の諏訪地方に伝わり、のちに寒天製造で日本一の地域となりました。江戸時代、信州の行商人・小林粂左衛門が京都の寒天作りを知り、故郷の信州がところてん生産に向いているのではないかと考え、伊豆諸島や伊豆半島で採れる海藻を大量に買い付けて、海のない内陸の諏訪地方の農閑期の副業として農家に作り方を広めました。諏訪地方の冬の夜は氷点下10度以下になることも珍しくなく、しかも降雪量は少なく乾燥しているため、寒天作りに最適の気候でした。
寒天は、ところてん、和菓子、ゼリーの原料として広く用いられています。その成分の大部分を占めるアガロースは食物繊維の一つで、腸内では消化吸収されないため、寒天はノーカロリーで「おなかの調子を整える食品」として注目されています。
寒天は食用以外にも、菌類や細胞などを培養するために使われる培地(寒天培地)として医学や生物学に大いに貢献している素材です。また生薬として、便を柔らかくする膨張性下剤としても活用されています。


ちなみに、テングサの属名のGelidium ゲリディウムは、ラテン語のgelidus ゲリドゥス「氷の、氷のように冷たい、氷結した、固まった」という言葉に由来します。寒天が凍結させて作られることと関係しています。さらに、英語のgel「ゲル、ジェル」や gelatine「ゼラチン」、jelly「ゼリー」も同じ語源です。

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